2013年1月5日土曜日

デカルトが書を捨て旅に出た後、何と言ったか!?


ふとしたきっかけ。遠い記憶シークエンスの一環。拙mixi日記2009年11月26日19:20をコピペ。

『方法序説』。いま読んでもぜんぜん違和感がない。時代や場所が違えば考え方も異なる、とはいえ、時代を場所を超えて普遍的な考えもあるのだなーと改めて思い知った次第。多種多様の物語や習慣などに共通するパターンを見出すのが構造主義なら、もしそこにデカルトの関心が向かえば構造主義者になっていたかもしれないと思わせるような文章がある。

柄谷行人は、『探究Ⅱ』で、『悲しき熱帯』という回想的スタイルが『方法序説』と類似している。レヴィ・ストロースが「あれほど遠くまで探し求めに行く真理」は、デカルトと同様に、旅や探検が見出す多様性を取り去ったところにある。そして、彼が見出す武器は、デカルトと同じく数学(構造主義)なのである。彼は、多種多様な婚姻形態や神話に対して、そこにいわば普遍的な「理性」が存することを認める。と記している。

デカルトが自然に対して数学を用いたのなら、レヴィ・ストロースは、人間の思考や習慣に数学を用いたと言える。

『方法序説』第二部より
P24 ところで私のことを言えば、もし私がただ一人の先生しかもたなかったならば、あるいはまた偉い学者たちの意見がいつの時代でも種々異なっていたのを知るに至らなかったならば、私は疑いもなく第二の種類の人間(注1)に数えられていたであろう。

しかし私は、すでに学校時代に、どんな奇妙で信じがたいことでも哲学者の誰かが既に言っているものだ、ということを知った。またその後旅に出て、我々の考えとは全く反対の考えを持つ人々も、だからといって、みな野蛮で粗野なのではなく、それらの人々の多くは、我々と同じくらいにあるいは我々以上に、理性を用いているのだ、ということを認めた。

そして同じ精神を持つ同じ人間が、幼時からフランス人またはドイツ人の間で育てられるとき、仮にずっとシナ人や人食い人種の間で生活してきた場合とは、P25 いかに異なったものになるかを考え、また我々の着物の流行においてさえ、十年前には我々の気に入り、また十年経たぬうちにもう一度我々の気に入ると思われる同じものが、今は奇妙だ滑稽だと思われることを考えた。


そして結局のところ、我々に確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であることの方がはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことは何ら有効な証明ではないのだ、ということを知った。


こういう次第で私は、他を置いてこの人の意見をこそ取るべきだと思われる人を選ぶことができず、自分で自分を導くということを、いわば強いられたのである。

しかし私は、ただ一人闇の中を歩む者のようにゆっくりと行こう、すべて細心の注意を払おう、と決心した。そしてそうすれば、たとえ少ししか進めなくても、せめて倒れることだけは免れるだろう、と考えた。

のみならず私は、理性に導かれずに前から私の信念の中へ入り込んでいた意見のどれをも、はじめから一挙に投げ捨てようとは思わなかった。それに先立ち、まず十分な時間を費やして、自分の企てる仕事の計画を立て、自分の精神が達しうるあらゆる事物の認識に至るための、真の方法を求めようとしたのである。


追記 2018.03.06 『方法序説』P20-24、82 画像クリックでオリジナルサイズ表示

ここ好き→
P21 一私人が、一国のすべてを土台からつくりかえ、それをいったんくつがえして建て直すというようなやり方で、国を改革しようと計画することは、まことに不当なことであり、またそれほどのことでもなくとも、もろもろの学問の組織を、あるいは学校でもろもろの学問を教えるために定められている秩序を、P22 改革しようとすることすらも、一私人の計画すべきことではないであろう。

しかしながら、私がこれまで信念のうちに受け入れたすべての意見に関しては話は別であって、一度きっぱりと、それらを取り除いてしまおうと企てること、そしてそうしたうえでふたたび、よりいっそうよい意見をとり入れるなり、あるいは前と同じ意見でも一度理性の規準によって正しくととのえたうえでとり入れるなりするのが、最上の方法なのである。

そしてこの方法をとることによって私は、自分がただ古い土台の上に建てたにすぎなかった場合よりも、また幼い時に教え込まれた諸原理のみを、それが真理であるかどうか一度も吟味せずに、自分のよりどころとした場合よりも、はるかによく私の生活を導くことに成功するであろう、とかたく信じたのである。

(中略)私の計画は、私自身の考えを改革しようとつとめ、まったく私だけのものである土地の上に家を建てようとすること以上におよんだことはけっしてない。私のやったことが私には十分満足すべきものであって、ここにその模型を読者に示すとしても、だからといってそれに倣うことを人にすすめようとするものではない

P83 この機会にここで後世の人々に、私の意見だと人から聞いても、私が自身で公にしたことではければ、けっして信じないようにと、お願いしておきたい。

(注1)他人の意見に従う、謙虚な人間。

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